何もおこらない映画。
とある夏の日を切り取ったような。
カメラを持ったこともない僕が言うのもなんだが、
こういう映画は撮ろうと思って撮れるもんじゃないよな。
是枝 裕和監督の『歩いても 歩いても』を見た。
家族が実家に集まれば、何かが起こる。
爆弾と優しさがいつも隣り合わせだ。連れ合いがあれば、言わずもがな。
そして、何事もなかったかのように、続いていく。
しかし、何ともない会話の連続が、何とテンポよく自然なことか。
日常、他愛ない会話なのに、ふとそれは意味深なセリフにも思えて。
「家族ってこんな感じやなぁ」と映画をみて思うとき、
単純に「家族のあたたかみ」を強調するものだが、この映画はそんな安易さを許さず、
苦い、苦い。
でもかすかにある甘みと笑い。苦笑とはこのこと。
いつもながら、
是枝作品のなかで生というやつは死の周辺でぐるぐる緩やかに旋回している。
失われたものは遠く、見えもせず、きまぐれに生活上の空間に現れて、
焦がれるままに捕らえてみても、覗いた手の中で見たものは過去への憧憬。
仲は悪くはないはず、が、どこかテンポはあわない。
極端に遠ざかることなく、決してその距離間は縮まることなく。
家族への距離、過去への距離、たまたまめぐり合った者たちの距離。
「いつもほんの少しだけ間に合わないんだよな。いつもそうなんだ。」
とは物語中のセリフ
頭の中で何かがかちんと鳴ってしまった。
◎ イーサン・ケイニン(Ethan Canin)
『エンペラー・オブ・ジ・エア』 …秀逸な短編集。「頭の中でなにかがかちんとなる」所収。
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